岸田繁が訊く“音の魂”

  • 岸田繁×奥田民生 対談インタビュー

    岸田繁×奥田民生
    対談インタビュー

    ~前編~

    岸田繁がいま会ってみたい音楽家たちに、彼ならでは切り口や目線で、根掘り葉掘り様々なことを訊いてみる。そんな企画が、このたびスタートした。
    同じミュージシャンでありながら、その人たちのファンでもある岸田ならではの、<感じるところ>や<思うところ>を各位にぶつけ、その方々の違った側面や、これまであまり伝えられなかった部分を岸田ならではに引き出し、訊き出していく、このコーナー。

    第一回目は、サンフジンズでの活動を始め、岸田とは以前より親交も深い奥田民生氏だ。岸田視点から見た奥田民生像やスタンスについて、改めて問いかけた今回のインタビュー。前編・後編の2回に分けてお送りする前編は、奥田の「地味なところで楽をする極意」「自主レーベル『ラーメンカレーミュージックレコード』のスタンス」「『大きな転換期を感じた!!』と岸田に言わしめた奥田の最新ソロ作品」「<まずは自分を面白がらせる>奥田の独特のスタンス」について岸田が訊く。

    長年にわたるソロ・キャリアにおいて「異色」とも言うべきアルバムをリリースした奥田民生。多くのフォロワーを産み、ある意味「孤高の存在」でありながら「職人的音楽家」、そして「そのへんのおっさん」や「面倒見のいい先輩」を行き来する彼が近年何を思い、どのように作品を作り出したのか、じっくり訊いてみた。(岸田)

    「全国のラジオとかへのコメントのシステマチック化。実は、あれ、僕が発明したんですよ(笑)」(奥田)

    岸田 繁(以下 : 岸田)新譜を出す時に取材を受けるじゃないですか。最も多い時は何誌ぐらいのインタビューを受けられてました?
    奥田民生(以下 : 奥田)どれぐらいだろう……。昔は雑誌がとにかく多かったからね。それこそユニコーンの頃は20ぐらいは受けたかな。
    岸田けっこう同じこと訊かれるじゃないですか?
    奥田頑張って色々なこと言ってたよ。(最初とは)違うことを言ったり、時には否定したり。でも、それも疲れて。結局、同じことしか言わなくなる。
    岸田(笑)。他の方のインタビューを読んだりは?
    奥田してましたよ。例えば……『YOUNG GUITAR』とか。アンプのことをしゃべってたりとか。
    岸田具体的なプレイヤー誌系ですね(笑)。
    奥田(笑)そうそう。説明してるだけのやつ。
    岸田当時の『YOUNG GUITAR』の表紙だと、リッチー・ブラックモアやエディ・ヴァン・ヘイレン?
    奥田そうそうそう。ヴァン・ヘイレンとか。
    岸田マイケル・シェンカーとか。僕らのときはイングヴェイ・マルムスティーンとかが表紙を飾ってました。
    奥田当時はまだビデオとかもダビングしか観れなかったし。あとは『ベストヒットUSA』かNHKの音楽番組しか無かったから、ギタリストがどうやって弾いてるかは、雑誌に載ってる譜面を見ないとわからんかった。
    岸田ちなみに最新ソロ作の『サボテンミュージアム』に際しては、幾つぐらい取材を?
    奥田3つくらいかな。それをライターさんに「書き分けてくれ」って。そうそう。全国のラジオとかのコメント。今、システマチックでしょ?あれは僕が発明したんですよ(笑)。頭の各ラジオ局の名前だけを変えて、あと話は一緒でって。
    岸田そうなんですか(笑)。あの、「こんにちは、奥田民生です」、「こんばんは、奥田民生です」とか(笑)。
    奥田その技をソロになったぐらいのときに編み出したんです。「こっちのほうが早いから、絶対」って。みんなそれをやるようになった。
    岸田僕らも時々使わせてもらってます。他にも民生さんは色々な発明をしてますよね。iPadで歌詞を映し、それで歌ったり(笑)。
    奥田(笑)。
    岸田制作やライブ、プロモーションの現場の中で、ちょっとした発明ってあるんですよね。そこからインスパイアされて作品を作られていることが、民生さんと一緒にバンドをやってみて、よく理解できたんです。
    奥田 (頷く)
    岸田世に作品をコミットするにあたり、独自の方法で編み出した発明を使い、派手さはないかもしれないけど、色々やって結果を出されている。常にそのような様々なチャレンジをして、それを作品に反映されているように僕には映ったんです。
    奥田わりと地味なところで楽をするのが好きですから(笑)。
    岸田(笑)知ってます。
    奥田そういうなんか地味っていうのを自分ではかわいいと思えませんか(笑)?
    のらりくらりと、というイメージの強い奥田民生氏だが、彼が何かを思い付く時のスピード感は凄まじい。それにも増して、思い付いた突飛なアイデアをスタッフや他のミュージシャンに伝え、彼らを巻き込みながら実現させるスキルとリーダーシップは彼の「才能」と一言で片付けるには口惜しいほど、人間力と経験のなせる技だと思う。もちろん、普段は色々仕事をこなしながらも、のらりくらりとされていることも多そうなのだが……。(岸田)

    「ソロは手軽さが売りなのにスピーディに動けないのがジレンマでRCMRを立ち上げた」(奥田)

    岸田RCMR(ラーメンカレーミュージックレコード=奥田が2015年に設立したインディーズレーベル)を立ち上げられたキッカケや、これからの展望をお訊きしたいです。
    奥田ユニコーンとソロとの区別、みたいな。サンフジンズもあるけど、アウトプットの種類の違いかな。例えばソロにしても、ひとりでちょっと弾き語りに行ったりとか…。楽じゃないですか。
    岸田コストとか色々な面で楽そうです。
    奥田身ひとつでもできる手軽さが武器だから。作品のリリースだけじゃなく……例えば今だとYouTubeにアップしたりも気兼ねなくやりたいし。
    岸田様々な許可を取ったり、スタッフに説明したりする手間も省きたいですもんね。
    奥田以前は何をやるにもそんなに簡単じゃなかったんですよ。ソロは手軽さが売りなのに、スピードが遅くて。それがイヤで。だったらインディーズでやった方が楽だろうと。それはもちろんユニコーンがあるっていうのも、あるんだけど。
    岸田ユニコーンの方は変わらず旧来のやり方で?
    奥田そうです。そっちはそっちでちゃんとやる。ひとりのときはもっと気軽にと。
    岸田実際に走らせてみてどうですか?
    奥田作品がまだそんな出てないからね。それこそ第一弾がサンフジンズで、ありがたかったですよ。やっとソロ新作も出て、YouTubeで流したりしつつ、配信やストリーミングもやり始められてるので。
    岸田逆に、これは思ってたんと違うゾということとかは?
    奥田今んとこはまだ。まあ、ことによっては、お金の話になったり……。でも、そういう意味で、あるもんでしかやらんし、できることしかやらん。そんな縛りの中でやるのも嫌いじゃないんで。それはユニコーンとの差別化も含め。
    岸田それこそユニコーンは個性豊かなメンバーが集まった、他に類を見ない特殊なバンドじゃないですか。
    奥田まあ謎ですよね。
    岸田ユニコーンでも様々なことを思いついてやられてますよね。傍目から見ると、例えばサンフジンズや奥田さんのソロ等、アイデア自体の核にはあまり差がないように見受けられます。
    奥田そうですよね。同じ人間ですし。その場で考えたことをやろうというのは一緒だから。ただまあ、人がいるぶんユニコーンの場合は、自分がこうだと思っていても結果が変わってくるんで。
    奥田民生という稀有な音楽家を紐解いていくと、その豊かなアウトプットの数とは裏腹に、独自のアイデアをそれぞれの現場においてどのように活かすか、ということに重点を置いていることがわかる。それは、側から見ていると、周囲に振り回されることがない代わりに、自分のやりたいことも曲げない。かといってストイックな姿勢を見せるわけではなく、あくまでも飄々と、周りの人間をその楽しみの坩堝に巻き込みながら、自由に泳いでいたいのだ。(岸田)

    岸田繁×奥田民生 対談インタビュー

  • 「最新ソロ作品を聴き、奥田民生が大きな転換期を迎えていると、勝手にジャッジしている」(岸田)

    岸田もともと僕は1stソロアルバムの『29』を聴いていた世代なんですが。ユニコーンの解散直前に、メンバーそれぞれがソロワーク的なシングルを出されましたよね?確か「休日」「健康」。
    奥田はいはい。
    岸田あの辺りから僕は、奥田民生さんという作家性、つまり、“こういう曲を書く人なんだ”とのイメージを強く抱きました。自分なりに思い返すと、そこから今に至るまでブレがない方というか。
    奥田はい(笑)。
    岸田今回の『サボテンミュージアム』を聴かせていただき、シンガーソングライターである奥田民生の大きな転換期と僕は勝手にジャッジしておりまして。歌詞がバシバシ鋭く入ってきた楽曲の多さからもそれを強く感じました。
    奥田ほう。
    岸田あとは歌詞だけでなく、楽曲全体からも、実は今の世間とか社会への違和感がベースになっており、バイアスをかけずに言うと、怒りっていうんですかね。聴こえてくる言葉が今回とても具体的に聴こえてきたんです。
    奥田なるほど。
    岸田おしりに必ずベイビーをつけて歌えと教わった(「MTRY」)。あと、さすが俺のギター 俺だけが弾くだけのギター これを他人が弾いてもこうゆう音しない(「俺のギター」)。他にもオジさんやベテランの流儀等、今の時代、失われてしまったであろう様々なこととかが目の前に山盛りでドンっと出されてますよね。しかも、あえて説教臭さともまた違う感覚で。
    奥田そうだね。
    岸田いわゆる、どの世代やどういう人、誰に聴いてほしい等が想定されて作られた作品なのかが凄く気になったんです。
    奥田(考える)。
    岸田例えばユニコーンだと、近作はよりファン層に向けて作られていることは分かるんですが、例えば奥田民生ソロとなると、その最もパーソナルな表現の部分が誰を想定して作られているのかなって。そのあたりイメージを明確に持たれていたりは?
    奥田うーん、まあ、こんなふうにして作ってるってことを知らない人?今は音楽をやる人も当然たくさん居て、若い人もいるけど、正直、今はやり方が変わってるでしょ。楽器にしても、機材にしても。
    岸田コンピュータで全部完結できる時代ですからね。
    奥田それなりの音楽っていうのが当然あるので。それは良い悪いとはまた別物ですから。昔からのやり方みたいなものを説明しときたいっていうかね。昔はそんなこと思ってなかったけど、ここ何年かはそういう風に思う。だからこそ、あのYouTube(『カンタンカンタビレ』)もやったとこはあるし。
    岸田つまり、これから音楽を始めようしてる人や直接接点のないミュージシャンとかが見て、それを実践してくれたらと?
    奥田そうそう。わりと同業者に向けてるフシもあるはある。
    岸田そういうことを思い始めたのは?
    奥田40代真ん中ぐらいからですかね。
    岸田サンフジンズを組むときも、「岸田にバンドの楽しさを教えてやる」と言って下さったのを覚えてます。実際僕はそこからバンドが楽しくなったんですよ。
    奥田それまではどうやったんや(笑)。
    岸田全然楽しくなかったですね。マジで。
    奥田いや、その意味が違うよね。それ悲しかないわけですよ(笑)。
    岸田悲しかないですけど(笑)。でもやっぱり、あ、こういうことなのかって気付くことも多かったので。
    奥田わはは(笑)。

    「盛り上がって作っているうちに生じる勢い、そういうのが好きなんですよ」(奥田)

    岸田例えば、今やられてる宅録でも、全部作業工程を見せながら解説された動画をアップしてますよね(『カンタンカンタビレ』)。あれって多分、音楽やってない人が観ても何のことか分からないと思うんですよ。
    奥田はいはい。
    岸田重要なのは、あれをYouTubeでやられると伝わることが多分にあるところで。
    奥田(大きく頷く)。
    岸田実際、『サボテンミュージアム』でも、バンド演奏や歌詞の中でそれをやられてるわけで。誰から見ても全て持っている人が、何に対して違和感と行き所の無さを感じ、何を強く伝えようとしているのかって。みんな奥田民生になりたいわけです。だけど当人は、どうしてこんなに居心地が悪そうなんだろうと。そこを僕は最もお聞きしたくて。
    奥田(笑)
    岸田(笑)。実は居心地の悪そうなふりをして、新しいことを苦労して始められたり。正直50代のベテラン音楽家が、エレキギターでデカい音掻き鳴らして、バンドでドカーンと汗水垂らしながら演奏して、ギャーって大声で歌わなくても別にいいじゃないですか。
    奥田(笑)。
    岸田ラクしてたいじゃないですか(笑)。
    奥田それはやっぱり、基本、楽器を弾いて演奏するのが好きだからやるんですけど。うーん……結局、昔憧れたジミー・ペイジさんのね、楽器を真似して持ってるだけじゃない。言ってみれば。
    岸田できるだけそれに近い音に近付けてみたり。髪型も若干近付いてきたり(笑)。
    奥田(笑)それがしたいだけっていうのもありますし。それをやり続けるために……。
    岸田エクスキューズを常に持つ。
    奥田そう、自分を面白がらせる何かを見っけてくるといいますか。
    岸田わりとロックの人って、自分を奮い立たせて見えない何かと戦っていくみたいなペーソスがあるじゃないですか。若いバンドは誰彼構わずそうですし、ベテランの方でも先日亡くられた遠藤賢司さんとかの感じ。僕は大好きなんですが、ああいう熱量をジンワリと感じたアルバムでした。普段の民生さんは、飄々としつつ、面白がることこそがモチベーションで、そこに極端に振れてるじゃないですか。まっ、真意はわからないですけど。
    奥田そうですね。
    岸田面白いとか、そこで盛り上がって、笑いが止まらへんっていうとこがスタート地点だったりするじゃないですか。
    奥田(笑)そうですね。
    岸田それは昔からですか?
    奥田昔からです(笑)。
    岸田そこももっと伝えたいんですよ(笑)。
    奥田(笑)そうですね、でも、そういうのは、作品が出来て、それを聴いた人が、それが分からないままで。“なんでこれ、こんな展開なん?”っていう曲になってるわけじゃん。なんかの理由で。
    岸田『おどる亀ヤプシ』(1990年発売UNICORN 5thアルバム)が出たときなんて、僕なんか意味が分からんかったです。
    奥田(笑)。内輪のものが盛り込まれてるけど、それは聴く人にはなんのこっちゃわからなくて。だけど、だから盛り上がって作ってるという、その勢いが生まれたりしてて。そういうのが好きなんですよ。で、それを「そういった風にやりました」と言わない方が曲がなんか力を持つというか…。
    岸田インスパイアの源は他人には見えていないけれど、とにかく曲は盛り上がってて、よく見たら、予想外のところから温泉が湧いてた、みたいな。
    奥田まあ、そうね(笑)。
    上手く訊きだせたようで、なかなか分かりにくいテキストになってしまった。もともと彼は痛烈な社会風刺やメッセージ性の強い楽曲をポツリと産み落とすことがあった。近年ではユニコーン『私はオジさんになった』はある意味彼の作品群の中において隠れた金字塔であり、音楽的にも今の時代にフィットする感覚に溢れた名曲だった。ソロの新作『サボテンミュージアム』では、寧ろ前時代に遡りながら、サウンドのタフさと言葉の強さで、ロック的な熱量を生んでいる。つまり、ヒリヒリ、イライラしているのだ。あの奥田民生が生き急いでいるかのような、スリリングなレコードなのだ。(岸田)

    岸田繁×奥田民生 対談インタビュー

    取材:岸田繁
    編集:池田スカオ和宏

    後編は、岸田から見た奥田氏の現在のスタンスや作風、
    そしてサンフジンズや氏の向かう今後等について、
    くるりオフィシャルサポーターズクラブ「純情息子」会員限定で公開中!
    あわせてお楽しみください!

    ログインして後編を読む

    新規会員登録はこちら